▼原田城その2(浅加稲荷)2016/03/10 04:25 (C) Atelier Li-no
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文政4年(1821)6月のこと、大雨で内山沢堤が危ないとの報を受け、堤の崩壊を防ごうと作業に出向く、必死に作業をしていたが、あっという間に崩壊し、作業していた2名が押し流されてしまった、もう死ぬばかりと思ったとき、一匹の狐が忽然と現れ、藤ずるを2人の頭上に投げてきた、2名はこれにしがみつき助かった。崩壊した堤は、地元名士の努力で復旧の運びとなり上杉藩からも助成金を賜り、文政8年(1825)完成した、この年、2名が濁流から命を落とすところを助かったのも、堤の復旧が無事完成したのも稲荷大明神の御加護の賜物である、これに報いるため、ここに稲荷大明神を建立、竹駒稲荷(宮城)より分霊を受け、この置賜公園ダリヤ園(原田城)のところに創立しました、その時、創立者浅野政次、加藤孫右衛門の姓の一文字ずつを取り、『正一位浅加稲荷大明神』と命名したと語り伝えられている。(神社横説明看板参)
昭和36年(1961)8月、このお稲荷さん前でばあちゃんと私の3兄弟、そして母の一番上の姉でお参りし記念撮影している写真があり投稿、あれから50年以上たち、昨年2015年5月に娘と孫連れて帰省した折、認知症で部屋に篭っている母を連れ出し朝散歩した、健康でいられることに感謝の祈り、神社も横にあるベンチも同じであった、古写真ばあちゃんと孫の私(右となり)、現在母と私そして孫(娘の長男)の”ひろき”で記念撮影、昨年母は満86歳、父87歳、兄60歳となり還暦と米寿祝いを兼ねて松島で祝いを行った、その際に分霊を受けた宮城の『竹駒神社』にも立ち寄り、お参りしてきたので写真を投稿。 氏神様へ”健康でいられることに感謝”です。