▼イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その72016/02/27 09:15 (C) Atelier Li-no
|
▼100advertising▼ranking
|
(C) Stepup Communications Co.,LTD. All Rights Reserved Powered by samidare. System:enterpriz [network media]
|
▼イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その72016/02/27 09:15 (C) Atelier Li-no
|
▼100advertising▼ranking
|
(C) Stepup Communications Co.,LTD. All Rights Reserved Powered by samidare. System:enterpriz [network media]
|
昭和54年正月実家に帰省したとき、実家の前で撮った写真(1枚目)がある。
現在(2枚目)奥の篠沢畳店、その手前の家は同じだが、他はみな建て替えられている。この年も正月はそんなに雪はなかった。
今年(2016年)は2月というのに3月末程度の雪である。バードは夏の暑い日この道を向こう側に進む。篠沢畳店からS字にカーブしている。昔はもっと道幅が狭かったという。
篠沢畳店、二大角お茶店、斬新自転車、清水屋商店(3枚目の写真)となる。その向かいは栄屋そば店で幼少時遊び友達とかがいた、思い出の場所である。
父と母が結婚し、はじめに住んだ間借りの家で、兄と私が生まれ、弟が生まれた年(自分4歳)のときに殿原に自宅を構え引っ越している。昭和29年両親が結婚して初めに住んだ家の前で母とおばあちゃんが記念撮影している(4枚目)隣の女の子は近所の子のようだ。奥は斬新自転車屋さんになるが、昭和レトロを感じる。
水害でところどころはがれているが良く残った写真である。この自転車さんの左が清水屋商店で近くに清水がありました。昔水道が無かった時代、昭和30年前まではみなここで家事仕事して井戸端会議でにぎわっていたのである。
昭和42年水害前まで清水は残っていて、タニシとかいろんな生き物がいて、蛍も近所で見えたが、この羽越水害以降清水は無くなり、川も拡張されコンクリートブロックとなり蛍も見られなくなったのである。