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▼ 第13回・玉子を配る  05,4,28

 第13回・玉子を配る  05,4,28/

 僕は約200軒の方々に週二回、曜日を決めて玉子を配達している。

「ねぇねぇ、おかぁさん。いまとっても気持ちのいい風が通り過ぎて行ったよ?」「そうね、今のは春風よ。」「ふーん、さわやかだね。」
「おかぁさん、今のも春風?」「なにいっているの。いまのは菅野さんが玉子を持って通り過ぎていっただけじゃないの。」「ふーん、でも気持ちいいね」・・・

バカだと思うでしょう?確かにそうかもしれない。こんなことを楽しく空想しながら家から家に、玄関から玄関へと玉子をもって走り回っていたのだから。20年前。まぁ、若いときというのは往々にしてそんなもんだ。

さて作物には育てた者の世界観が反映する。すこし気取った言い方をすれば、玉子は玉子であるだけでなく、玉子というかたちを借りた僕自身の世界観でもある。
この玉子をただ市場に出荷するだけで終わりなら、つくり手の苦労や感動は何ひとつ食べる側には伝わらない。いったん市場のフィルターにかけられ、スーパーの店頭に並んでしまえば、個性の失われたただの卵だ。玉子ではない。

ニワトリ達をどんな風に育てたのか。そしてどんな玉子ができたのか。ニワトリと僕とのあれやこれやの物語をささやかなメッセージとともに伝えたい。更に言えば、農民と消費者というだけでなく、同じ時代に生きる者同士、あるいは同じ地域社会の中の生活者と生活者という共感のなかで、食べ物としての玉子を渡したい、そう思っての宅配だった。

 玉子と一緒に「通信」を配る。一、二ヶ月に一度集金に伺う。そんな中でのやり取りが僕の養鶏のエネルギー源となってきた。

 食べ物をめぐる、最も豊かな関係といえる「地産地消」。これを実現していこうとする農業を称して「地域社会農業」というらしい。
 今までの地域農業は、地域社会を相手にせず、すべて東京、大阪などの大都会とつながろうとしてきた結果、足元がおろそかにされ、地元にはいつしか外国産の農作物が並んでいた。

 「地域社会農業」とは生活者の観点に立って、いま住んでいるところを天国にしていこうとする農業であろう。その意味では、私の養鶏は地域社会農業のささやかな実践といえるのかもしれない。

「ねぇねぇおかぁさん。あの腰を曲げて鼻を垂らしながら玉子を持ってふらふら歩いているおじいさんはだぁれ?」「うん、あの人は菅野さんといってね・・・」。
20年後はこんな感じかな。


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