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▼【映像】新庄市観光案内!

【映像】新庄市観光案内!/
新庄市は、自然あふれる個性豊かな山々に囲まれた盆地です。栗駒国定公園の神室連峰がそびえ、北西に霊峰鳥海山を望むことができます。毎日、織り姫星が真上を通過し、秋には全国で一番早く開花する「すすき」の花穂が風に吹かれて金色に光ります。
俳聖・松尾芭蕉が新庄を訪れてから300年余り、最上川の水路と陸路を結ぶ要衝から道路と鉄道が交差する高速交通網の要衝になりました。山形県の北の地、最上地方の中心都市として発展してきました。
語り継がれた民話に耳を傾け、絢爛豪華な新庄まつり山車パレードに感嘆。豊かな伝統と文化が、今も息づいています。

【最上公園】
新庄藩祖・戸沢政盛の居城跡で、200本以上の桜が咲き誇る桜の名所です。
新庄春まつり期間中は「カド焼きまつり」が開かれ、カドの香ばしい煙の下、花見を堪能する人で大いに賑わう。
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【最上広域交流センターゆめりあ】
「ゆめりあ」は新庄駅舎に併設している最上広域交流拠点施設です。最上地域の豊富な自然と文化資源などの情報発信の基地として活用されています。
もがみ物産館詳細ページへ
最上広域交流センターゆめりあ詳細ページへ


【新庄城址】
新庄城は、新庄藩祖戸沢政盛が築き、寛永二年(1625)の完成と伝えられています。

本丸は東西52間、南北127間、正面奥に天守櫓がそびえ、周囲は堀と土居で囲まれ、三隅に櫓を有する平城でした。寛永十年(1636)の火災以来天守櫓は再建されませんでした。本丸の東側に二の丸・三の丸が設けられ、侍町を形成し、その外側に町人町が置かれました。
新庄城は243年間、戸沢氏の居城として新庄藩政の中心となりましたが、戊辰戦争に際し、庄内勢に攻められ、市街地もろとも消失してしまいました。その後、本丸には新庄学校、郡会議事堂などが建てられましたが、現在は戸沢神社、天満神社、護国神社が祀られ、最上公園の名で親しまれています。
二の丸跡は新庄小学校、新庄北高等学校、新庄南高等学校の敷地になりましたが、その後、小学校、新庄北高等学校は他に移り、市民文化会館、ふるさと歴史センターが建っています。

最上公園内では天満神社(県指定建造物)、戸沢神社、護国神社などの歴史的な建造物も見ることができます。
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【旧矢作家住宅(国指定重要文化財)】
矢作家住宅は、その構造から江戸時代中期に建築されたと推定されています。

旧矢作家住宅については史料がなく、住宅の建立年代など明らかではありませんが、建物の規模から一般農家と見られ、構造手法などから建立は18世紀中頃と推定されています。19世紀初項に中門部分の建て替え、明治中項と大正初期に改造増築が加えられていましたが、古い形に復元されました。
構造は、上・下屋からなり、上屋柱がほとんど省略されていない点が注目されています。この上屋柱は座敷(下のでん)を除き、断面多角の材を斧(おの)または手斧(ちょうな)で仕上げてあり、意匠的効果もあげています。
このような意味で矢作家住宅は、県内における片中門造りのなかではもっとも古式な構造手法をみることができる建造物です。
旧矢作家住宅(国指定重要文化財)詳細ページへ





上記に紹介した観光地はごく一部です。詳細は下記URLからご覧ください。
まつりと雪のふるさと 新庄
山形の観光・イベント情報サイト「i山形」

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