▼読売新聞に大きく掲載2006/10/02 10:34 (C) さがえ九条の会
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渡辺さんは東村山郡出羽村(現在の山形市漆山)出身。1939年ごろから画家として生計を立てていたが41年に召集され、中国でソ連軍の捕虜となった。画家だったことがソ連側に知られ、スターリンらの肖像画を毎日描かされた。49年に帰国後は、パリに渡って絵を売るなど画業に専念。白亜美術協会(本部・横浜市)の創立委員にもなり、風景画などを描いてきた。
抑留時代のことは思い出したくもないという時期が長く、抑留生活を描き始めたのは約6年前。戦友の多くが亡くなり、「風化してしまった悲惨な歴史を絵で伝えたい」との思いが強まったからだ。特に、「従軍画家はたくさんの勝ち戦の絵を残したが、負け戦のものはほとんどない」と、自身の原体験でもある抑留生活の悲惨さを伝えることにこだわる。
完成した5作目は、100号の大作「夢『脱走』」。捕虜収容所の壁をよじのぼったり、脱走に失敗して撃たれた抑留者の姿を描いた。故郷の母を表現したチョウを描き、色合いも幻想的だが、細部は悲惨な情景を直視させる。渡辺さんは抑留生活中、仲間から脱走を誘われたが、90人の部下がいたため断り、直接は脱走現場を見ていない。このため、生きるか死ぬかの瀬戸際の表情を描くことに苦労し、通常より3か月ほど長い約7か月を費やした。
講演は、「さがえ九条の会」の呼びかけに渡辺さんが応じ、同会結成1周年を記念して行われ、渡辺さんは「戦争はもう嫌だということを訴えたい」と話している。講演は7日午後2時から、寒河江市中央のハートフルセンターで。「ソ満国境の惨劇」などの作品も展示され、入場料は、資料代として500円。問い合わせは同会の佐藤栄一事務局長((電)090・7074・4213)へ。
(2006年10月2日 読売新聞)