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▼発見か!? 長谷部吉之助の作

発見か!? 長谷部吉之助の作/
本日4月4日、公式ではないが私的に獅子の日としている。

その日に発見のチャンスが舞い込んだ。

昨日夕方、自宅に一本の電話が入った。

とある極近郷の高齢の女性からである。

話の内容を要約すると自宅に古い獅子頭があり、それを見て貰いたいとの事であった。

以前、十日町に住む獅子に詳しい某氏がその女性に伝わる家の古い獅子頭について知っていて

作者の名前を説明したのだそうだ。残念ながら女性はスッカリ忘れてしまい思い出せない

との話である。その時、某氏がタテガミを植えたという話も付け加えられた。




そんな話を聞いたら居ても立っても居られない私である。

さっそく今朝、拝見しにお邪魔した。

すると小振りの古びた総宮系の黒獅子があった。

















まず全体の印象をスキャンし、細部のパーツを見て行く。

すると頭に今まで見た獅子頭の作者の印象が自然と浮かんでくる。

歯の特徴に先日飯豊の中で見た、やはり小振りの獅子頭のイメージが重なって浮かぶ。



こちらも長谷部の作の可能性あり


            飯豊の伊藤嘉六家の獅子頭 嘉永六年 ・・も?


めくれた唇の細かいヒダと舌の曲線、アゴの軸棒の丸い部分・・下顎の波打ったカーブ、上下

の前歯の湾曲などの特徴を分析すると長谷部吉之助の名前が押し出されてきたのである。


西高玉の獅子頭を二頭制作した時に昼祭(例大祭)の獅子頭の方が長谷部の作と伝わってい

た。




このお宅の獅子頭が長谷部と仮定すると、総宮系の長谷部の作は今回初めてである。

総宮神社の獅子頭の中に、何回も塗り替えした為に作者不明の獅子頭がある。

(最初から記名無しだったかもしれない)

その中に嘉永五年の獅子頭があり、その作風がその当時も著名だったろう長谷部の作でないか

と睨んでいた。長谷部の作品には記名が少なくて、僅かに仏像に残っているだけだ。










本日拝見した獅子頭にも案の定無かった。

しかし、その獅子は総宮系と西高玉の様式とが合体した形である。

嘉永五年以降に総宮の獅子頭を作ったとしてこの獅子頭を作ったとたら、違和感を感じてしまう。






また、この家の獅子頭は長谷部の意図的、創作的に作られた獅子だとしたら納得がいくのである。


このグチャグチャの纏まらない見解はあくまでも独自の推測なので悪しからずだ。

ドンドン出てくる謎の獅子頭。







2018/04/04 17:17 (C) 獅子宿燻亭7
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