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▼飯豊中の目八幡の獅子頭

飯豊中の目八幡の獅子頭/
急激に雪解けが進み獅子頭拝見も活発に進めている。

3月26日午後から飯豊町萩生は中の目地区の八幡神社の宮守(みやもり)の家を尋ねた。

手塚氏は三代に渡り宮守を務め、四頭の獅子頭を蔵に管理している。先代は60kgの俵を担いで

走る俵担ぎ競争で一位を取る程頑健で、警固を務めたという。



中の目の獅子頭について「中の目歴史散歩」という資料に詳しくあった。その中に初代の獅子頭は

田中の後藤吉左衛門から奉納されたもので老朽化し、昭和29年に新調した後に後藤家に返納されて

いる。ということは現在四頭ある獅子頭の他にもう一頭あるとも解釈出来る。

再び、後藤家から獅子頭が神社に戻ったという事かも知れない。手塚氏にさっそく確認してもらう

お願いをした。






さて、実は平成21年に私の制作した獅子頭を納めている。獅子頭を納める時、こちらにお邪魔した

事を思い出した。見覚えがあるのだ。

獅子頭のモデルは、昭和52年に飯豊町中津川小屋の獅子彫り名人、渡部 亨氏制作の獅子頭だっ

た。萩生の諏訪神社の天明の生き獅子を模したのだろう、形良く軽く洗練された獅子頭である。






獅子舞いも諏訪神社から2人の師匠伊藤春蔵氏と梅津昭一氏が指導に招かれたと言う。

八幡神社境内に子どもの獅子舞を行っている月岡神社があり、子どもの頃から獅子舞いや笛太鼓

を習って、大人になると八幡神社の獅子連に入会するのが伝統である。






次に昭和29年に新調した獅子頭がある。その際、「獅子篤志(とくし)寄附芳名簿」という詳しい

資料を拝見した。不思議と獅子頭の作者と塗師は見当たらなかった。

しかし獅子頭を見てみると直ぐに判明した。やはり南陽市法師柳の獅子彫り師、佐藤耕雲だった。

鼻筋の裏側内部に記名があったが、修理の痕で作者名は消えていた。しかし塗師は同所黒沢集落の

竹田義一と推測される。同年、川西町西大塚薬師堂の獅子頭を佐藤耕雲と竹田義一両者が手掛けてい

るからだ。5kg台の他の獅子頭と比較して7.3kgと重いが渡部氏の獅子頭が新調されるまで23年に渡

って用いられている。

寄附名簿には奉納者と金額が明記されていた。

その中でも島貫乕(とら)五郎氏の名前が目立つ。萩生の駅前にある「まつのえ商店」のご先祖で

総代も務め月岡神社の子どもの獅子幕に名前が記名があった。寄附金の多額さも桁違いである。

寄付金の合計は113,000円 その他獅子頭の材料となる木地と寄附芳名札額用のケヤキ板までも含ま

れている。獅子頭は52,000円で現在の価値であれば200万程だろうか。







最も古いとされる獅子頭は、伊藤彦右衛門の作だった。下椿の座主神社や深淵の山ノ神神社、渡部

武氏のコレクション、今泉金比羅神社の獅子頭等ゾクゾク発見されている。獅子に記名はあったが

修理の記名で昭和23年である。座主神社の記名は明治13年、深淵は11年と刻銘が残っていたので

同時期に制作したと思われるので70年近く使用した計算になる。しかし70年にしては使用感は少な

いのでもう一頭あったのではないだろうか? 後藤家に戻ったと言う獅子頭の存在報告が楽しみであ

る。

2018/03/27 08:39 (C) 獅子宿燻亭7
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