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▼仕事の記録1975-1978年CBトランシーバ(その4)

仕事の記録1975-1978年CBトランシーバ(その4)/

CB無線機コブラ135XLRベースステーション・・・車載用でなくベースに使用する機種で販売から40年経ってるのにネットで検索すると結構出てきます元気に使用してるものもあるようで懐かしいです、YouTubeに投稿されているものも2017年と最近のものもあります、中身ばらして説明してるものとかもありました・・ベース機器にはタイマーがついていて時間設定でON/OFFできました、なつかしいパタパタ時計というやつです・・パタパタ時計は、数字が半分ずつ書かれた多数の薄いプラスチック板をはめた円筒の回転により、上下の板で構成された文字板で現在時刻を直読する時計のことです・飛行場の案内板や歌のベスト10などによくでてましたね・昭和らしいです、当時はディスクリート部品で完全アナログ回路、回路図は製品に添付されていました、東芝日野が開発から製造までしていて、この中で使用されてる電源部分はあとからわかったのですが移動した職場の東芝小向の電源開発部門から供給されていたものです。東芝日野のCB無線は入社当時(1975年)単なる小グループ数人のこじんまりしたとこでしたがCBブームに乗りあれよあれよと専門のCB無線開発課から製造課、生産技術部門を有する専門の部に昇格していたのですがあっという間に解散するということになりもとの小グループに戻るということでした・・この年東芝ふくめ日本が衛星3社(NEC、三菱、東芝)を育て専門に宇宙開発をする時期と重なり、東芝日野から50名ほど1977年10月に東芝小向に移動となりました東芝は各工場から人を集め1978年に小向工場内に宇宙事業部を設立して宇宙開発を専門に開始するのでした・・小向は東芝総合研究所、トランジスタ製造の多摩川工場と航空宇宙防衛、放送機にテレビにビデオと多岐にわたる小向工場の3事業があつまる大きなところでした・・当時日野の生産技術の課長が東芝小向の電源開発部の課長と同期ということもあり私は東芝小向の電源技術部に移動となりました、人工衛星の機器開発はこれからの事業だから簡単にはつぶれないからそっちで技術者として生きなさいとのことでしたが、製造から生産技術に移り開発と製造の架け橋みたいなとこで嫌というほど開発のしんどさというより基本の英数国をきちんとしてないと務まらないとこと感じていた私には務まらないと・・せめて生産技術にと願い出たのですがいいからやってみなさいと言われ不安の中東芝小向に移動したのでした・・・続く・・


2018/01/13 23:00 (C) Atelier Li-no
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