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▼支えになった就農時の「憲法」

支えになった就農時の「憲法」/
私が2ヘクタールほどの水田農業を継いだのは26歳の春だった。農業に就くにあたって、どんな農業をやりたいのか、農民としてどう生きたいのか。まずは「憲法」を作ろうと考えた。俺のことだ。これがなければ右に左に・・と、大きく迷走し、自分の農業を見失ってしまうだろう。それを防ぐためにも指針が必要だ。若いというか、このあたりはかなり理屈っぽい。
まず、「憲法」の基本を「楽しく働き、豊かに暮らす」と定めた。よくよく考えてみるとやっぱりここに行き着く。農業を生業に選んだことの意味はこれに尽きると。誤解の無いように言っておくが、「豊かさ」とはお金のことではないぞ。
その上で「四つの基本」を決めた。1、食の安全と環境を大切する。2、暮らしの自給を高める。3、きれいな農的景観を創りだす。4、家族みんなが農業に参加できるようにする。
で、実際に取り組んだのが水田の有機栽培とニワトリを大地で飼う自然養鶏との組み合わせだった。くず米、くず野菜、草などをニワトリに。ニワトリのフンを田畑に。健康なコメと玉子、鶏肉を得るだけでなく、肥料も自給できる。玉子は市場ではなく直に町の消費者に直に届けよう。「通信」を書き、玉子に込めた私の思いも一緒に伝えて行く。人と人とが食べ物を通してつながっていける。市場に出すだけの農業では味わえない醍醐味だ。これで農業がより面白くなっていくに違いない。

あれから40年。鶏舎のまわりに植えた梅や桜は大木となり、子どもたちはニワトリ達と戯れながら大きくなった。200軒のお宅にお米や玉子を配っている。だいたい計画通り歩いて来られたと思う。それを支えてくれたのは私の「憲法」の力だったと思っている。
いま、農業の中心は息子に移った。今度は息子が「憲法」を書く番だ。どんな憲法を書くのだろうか。とても楽しみにしている。

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