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▼最上義定(もがみよしさだ)

 生年不明〜永正十七年(1520)

 最上家9代当主。永正元年(1504)父・最上義淳の死により家督を相続、山形城主となる。一時は寒河江を支配下におくなど、最上郡(現村山郡)に強い影響力を示していた。ところが、永正十一年(1514)突如、置賜郡の伊達稙宗に攻め込まれ、長谷堂にて合戦に及ぶも、多くの一族重臣を失う大敗を喫してしまう。このとき義定は北部方面に出陣中であり、長谷堂到着の遅れが敗北の原因ともいわれている。この後、稙宗の妹を正室として迎え和議を結ぶが、最上家は伊達家の影響を強く受けることとなった。伊達夫人との間に子が無いまま亡くなったため、弟・中野義建の孫である義守がわずか2歳でその跡を継いだ。


2017/01/15 07:00 (C) 最上義光プロジェクト
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