ヤマガタンver9 > 救急車要請にもかかわらず来てくれず亡くなった山形大学学生の事件に思う

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▼救急車要請にもかかわらず来てくれず亡くなった山形大学学生の事件に思う

 昨年、救急車を要請したにもかかわらず救急車が出動せず、因果関係ははっきりしませんが無念にも亡くなられた19歳の山形大学生の事件は、同じ年頃の子供を持つ身には身につまされる悲しい事件でした。
 この事件には2つの問題があると思います。一つは、救急依頼を受け付けた職員の判断、対応。もう一つはその職員にそう判断させた背景です。
 彼が電話した時のやり取りは公になっておりますが、それを聞くと、私が医師だからかもしれませんが、救急車の出動が当然と思われます。対応した職員はなぜ違った判断をしたのか。それは彼の声が若くて、受け答えがいい加減と判断されたからでしょう。若いんだから多少具合が悪くても自分で病院に行けるだろうと職員は思ったに違いありません。電話でのその後の職員の応対はまさに誘導で、そう思うと納得がいきます。また、彼の部屋がエレベーターのない4階で、大したことがない(と判断した)患者のために消防隊の同僚を4階まで階段を登らせるのがためらわれたからではないでしょうか。
 この事件の裁判の翌日全国から300件もの手紙やメールが山形の消防署、山形市に寄せられたそうです。そのほとんどが山形市と消防署の対応に抗議するものだったとの事です。あの電話のやり取りを聞けば、一般市民は皆同じ感想を持つと思います。ここは、山形市は無条件で請求を受け入れ、謝罪すべきです。
 もう一つ、その職員にそのような態度をさせてしまったのには、最近のあまりに安易な救急依頼が多すぎるという事が背景にあったのだと思います。私も公立置賜総合病院の夜間救急外来で1,2か月に1回応援医師として協働診療していますが、いわゆる「コンビニ受診」がとても多いのを感じています。「コンビニ受診」とはコンビニエンスストアに出かけるような軽い気持ちで夜間、夜中も病院を来院するという事です。正直いい加減にしろと怒りを感じることもあります。また、以前私は仙台の救急病院に日曜日に手伝いに行っていましたが、軽傷で大したことがないのに救急車で来る母親をよく見ていました。小さな子供はよく前のめりに転びますが、その時顎に擦り傷を作ることがあります。そんな子が救急車で来て、私がそこを消毒してカットバンを貼るとその子の母親が「それでいいんですか。」といかにも不満そうに声を張り上げたことがありました。「私はもう20年以上も整形外科医をしてますが、別にこの子が憎いわけでもないし、これでよいと思うからこうしただけですよ。それともお母さん、あなたはどうしても自分のお子さんを重病人にしたいのですか。」と私が言うと、鼻息を荒くしていたその母親も「わかりました。」とおとなしくなったという経験があります。救急隊員からも自分で病院に行けるのにタクシー代がもったいないからと救急車を呼んだりする輩が多いというのを聞いたことがあります。ここ15年日本人はあまりにも安易に救急車を呼びすぎるのは事実です。対応した消防署職員にもその頭があったという事は否めないと思います。
 そういう意味では、この山形大学生の死の責任は安易な救急車、安易な時間外受診をする日本人にも大いにあるのです。それがこのニュースの真相(深層)です。そのことを啓蒙して日本をよくするのがマスコミの使命であるべきです。いつもの事ですが、マスコミは意図的に山形市、消防署の責任に矮小化している。あるいは考える力がない、頭が悪いのか。この事件をとってもマスコミというものがいかに社会を誘導して害を与えているかが垣間見えます。
 以前からこの院長私見で述べてきましたが、今の日本の体たらくを招いた元凶は、官僚とマスコミです。これを変えるには日本の体制そのものを根本的に改革するしか日本を救う道はないと思います。
かわいそうな山形大学生の事件からいろいろ考えました。ご冥福をお祈り申し上げます。

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